「Haul」の働かない日常。

無能は人生イージーモードに過ごしたい。

無価値な他人の信用は捨てよ。キモくて金の無いおっさんは開き直ればいい話。

先日、KKO(キモくて金のないおっさん)談話を繰り広げたHaulです。

haur.hatenablog.com

 

所で、僕はそれを自己責任とまとめたのですが、これは僕の個人的な意見というよりも「客観的な社会的な意見」という方向で考えたロジックである。

 

客観や常識というのは、世渡りをする上では結構便利な尺度だったりする。だから下手に最初から「マイノリティ」を声高に標榜する方が僕はハードモードだし、無責任じゃないかなーとも思うのだ。

 

しかし、一方で本当にそうなのか?とも考える。KKOは自己責任以前に、KKOはいけないことなのか?そういう悶々とした内容の心理は、これなのではないかという記事を見つけた。

 

www.pipipipipi5volts.com

 

「信頼関係」なんてものは、意想外に脆く、なにかの拍子に一瞬で消し飛ぶ。

 親戚に印刷会社の社長がいるんだけれど、この方は数十年前からコツコツとクライアントに喜ばれることを継続してきた。


 しかしながら今や斜陽産業であるがゆえに、廃業間近である。 信頼関係は相互利益あってのものだと痛感させられた。

 

 相手にとって役に立たない人間になれば、信頼もクソもなくなるのだ。
 本当の意味で利益を度外視にした、愛情設計の信頼なんて皆無に等しい。 

 

 

 KKO(キモくて金の無いおっさん)の本質は異質を排除する(集団的)メンタリティ。

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気持ち悪いとか、生理的に無理。

 

こういう言葉の意味が抽象的なように、キモい、金がない、おっさんというキーワードもまた非常にありふれていながらも、一種の隔絶された差別的ニュアンスがあるのである。

 

人は、知らないものに恐怖する生き物だ。

 

金というのは資本主義世界の信用の置き換えであり、これがないと現代では信用されない。(現にコンビニに行って100円の品を50円だけ出したら警察を呼ばれかねない。)

 

キモいのは見かけ上の不快感を煽り、おっさんともなれば「何か犯罪を犯すのではないか?」というマスメディア的煽動と、洗脳が生み出したニュアンスを持つかもしれない。

 

僕は音速帰宅して、17時くらいにはテレビのニュースを見ながら飯を食うのだが、まあ下着ドロボーだの、変質者だの超くだらない事件番組ばかり特集されている。

 

おそらく全国の暇人どもが「あらやだ、世の中物騒ねー(せんべいバキッ)」とかやりながら、事件や不幸をコンテンツに暇を潰しているのだろう。

 

つまり差別主義の1つ。

つまり、社会的にKKOは不寛容だと僕自身も一般化した形では認めつつも、行きつくところは「ただの差別」とも言える二面性を持っているのだ。

 

自分が傷つかない安全圏から、人の不幸を見るのには飽き足らず、安全で快適で暇すぎるという恵まれ過ぎた環境が故に、

 

少しの異質さも許さない不寛容な文化が構築されているのだ。

 

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その代表格がKKOであり、おっさんの癖して働かない?だとか、おっさんなのに金もない?みたいな明らかに一番簡単に叩ける人間にマウントを取り、自分の精神的なはけ口、いや社会全体のスケープゴートとして社会から消費されているのである。

 

無価値な他人の信用は捨てよ。

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つまるところ、他人が勝手に決めた社会的評価によって弄ばれている。その分かりやすい洗脳が「信用」という宗教である。

 

そもそも信用という言葉は、信用される人が主体的に使うものではない。むしろ受け身的な言葉であって、信用される。信用する。というように、三者の評価者側に重点が置かれている言葉だ。

 

ここで冒頭の記事に戻るが、結局この人は信用出来て、この人は信用できない。これは何の違いかといえば、単純に「自分にとってメリットがあるかないか?」という利害関係で置換できる。

 

信用される側としてはせいぜい、利害に基づいて仕事が降ってくるだけ。どんなに信用があっても、借りた金はもちろん返さないといけないし、少しでも遅延があれば信用は一瞬で地に落ちるだろう。

 

つまり、勝手に第三者目線でジャッジされているにも関わらず、信用されても大抵「重い」だけでメリットがあまり感じられないのである。

 

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キモくて金の無いおっさんは開き直れ。

 

つまり、そもそも最初から信用を要求してくる人というのは「裏切られたくない」という一方的な利害の押し付けであって他方にはほとんどメリットはない(むしろレッテル張りしてくる困ったやつ)ということになる。

 

そのため、信用できない!なんて思われたとしても特に困る関係でもなければ「あっ、そうすか。」と受け流していいものであり、むしろ開き直るくらいが丁度いいのかもしれない。

 

KKO問題は、この「信用」問題をマスメディアが煽りさらには社会の集団リンチとして利用された結果なのではないだろうか?

 

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特に個人的に衝撃的だったのはファブリーズのCMだ。

 

臭いものに消臭スプレーという内容で、堂々と父親に消臭スプレーを吹きかけるCMがあったのだが、あれこそキモくて金の無いおっさんっという差別主義をあたかも正当化する社会を醸成しているように思う。

 

まあ、最低限度のモラルやマナーを含めてキモくて金の無いおっさんっというニュアンスを半分は理解した方がいいだろう。

 

だが、もう半分くらいは「すいません、どなた様ですか?」くらいに下出から牽制球を放り込み勝手にマウントを取ろうとする社会に唾をかけてアグレッシブなファイティングポーズを取ってもいいのではないかと思うのであった。

  

ほいじゃ、又。