Haulの働かない日常。

無能は人生イージーモードに過ごしたい。

【闇】弱者さえも、コンテンツの1つにすぎない。

どうもHaulです。私は昔から、本当のことをそのまま伝えて他人を不愉快にさせることがよくあります。

 

そし、最近思ったのが「弱者さえも、この世のコンテンツだよね?」っという悪魔的発想(というか真実)だったりします。

 

本当の弱者って誰なんだろう?

世の中に、弱者って沢山いますよね。身体障害者、知的障碍者、女性と男性、経済的弱者、発達障害、高齢者。もう定義しきれない数の弱者がいます。

 

弱者とカオス。

世の中では、弱者と呼ばれることを利用して、それを上手く利用し、弱者を装った強者などが出てくるというカオスも発生します。例えば、障碍者でずっと車いす生活だった人が介助者に横暴な態度に出たり。自分に都合よく、弱者と強者を使い分けるタイプもいます。

弱者がいないと健常者が困る。

人間というのは非常に壊れやすい生き物です。生まれた時から競争原理にさらされ、運動、学力、容姿、財産などありとあらゆる競争で格付けされて、順番を勝手につけられています。必死に上司に頭を下げて、家族の為に働く。など、僕からすると一見不合理に見えても、自分にとっての大切なものを守るためには必死に苦痛に耐える必要があります。

 

勿論、この例に限らずで生きている中で何かしらの苦労や困難さを少なからず感じて生きている人たちにとって「弱者」というのは都合のいい、ストレス発散装置でありコンテンツでもあります。

 

感動や同情さえただのコンテンツ。

なので邦画によくある、安いお涙頂戴系で泣いてくる人を見ると「安い感動ポルノだよなあ」っと思ってしまったりします。それどころか、最近は同情することすら僕は嫌悪感を覚えます。

 

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「勝手に格下だとどこかで思っているんではないか?」「同情して、分かった気になっているだけではないか?」

 

同情するなら金をくれ。という格言がありますが、結局、自分に火の粉が当たらないところで何を言おうが、それはその人の勝手なオナニーでしかないのかもしれません。

 

弱者さえも、コンテンツの1つにすぎない。

という訳で以上です。つまるところ、弱者さえもコンテンツになりつつある昨今。テレビやネットニュースを見れば、弱者や被害者の声が毎日のようにむなしく木霊しています。

 

それもそのはず、弱者というワードさえもメディアのコンテンツにすぎないからであり、弱者は強者に食われるというのは人間の世界でも何1つ変わらない真実だという事でしょう。

 

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綺麗なものを見たいという人間の奥底の邪悪さを見るのもまた一興。

 

この世に退屈はしないと思う、私でした。

 

ほいじゃ、又(*'ω'*)